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私的物書

音楽、映画や美術。

『コッポラの胡蝶の夢(Youth Without Youth)』(2007年)

コッポラ監督、2007年公開の作品です。今作の原作はミルチャ・エリアーデの「若さなき若さ」です。ミルチャ・エリアーデルーマニア出身の宗教学者民俗学者でオリエンタル世界に興味を持っていたようです。そんな彼の書いた小説が今作の基盤にあります。そういうこともあり、今作ではオリエンタリズムの要素が色濃く出ています。

今作は言語の始まり、哲学の始まりを追及し、オリエンタル世界に傾倒する言語学者が主人公です。上述のように原作が民俗学宗教学者の著書であること、主人公が言語学者であることから、言語の起源というより諸人間関係の起源を追及したのではないかと思います。

まず、私は言語学者でも、人類学者でも、民俗学者でもないですが、言語というのは人間の持っている道具の一つで、それはコミュニケーション、意図・意思を伝え合うツールと考えています。三省堂スーパー大辞林の【言語】の項目には「①思想・感情・意志などを互いに伝達しあうための社会的に一定した組織をもつ、音声による記号とその体系。また、それによって伝達しあう行為。音声によらない手話や文字の使用をふくめていうこともある。ことば。」とあります。そのコミュニティーで適用される言語であるので極めて限定的なツールでありますが、諸人間のツールであることには変わりありません。(これはS・スピルバーグ監督の『アミスタッド』でも垣間見えたと思います。)

これに続けて、「②ラング(仏語)langueの訳語」と示されていて、【ラング langue】では「言語学ソシュールの用語。ある社会に採用され、その成員の共有財産となっている言語活動の規則・手段の体系的目録としての言語をいう。言語活動のうちの社会的・抽象的・一般的な側面であり、パロールに対する。「言語」と訳される」とあります。ソシュールのいう言語(ラング)はより限定的なものであり、記録的なものであることが読み取れます。①の方がより広義的です。

今作では①の意義での「「言語」の起源」がテーマであると思います。それを裏付けるものとして、コッポラの作品に内在する、人間の本質、諸人間の関わりの本質の側面を挙げたいです。コッポラマニアでもなければ、コッポラの全作品を鑑賞しているわけでもないのに何を言っているんだと指摘を受けそうですが、『地獄の黙示録』でも、『ゴッドファーザー』でも、そこを追及したかったのではないか、と私は思っています。

その「(諸)人間の(関わりの)本質」を「言語の起源」と即して描写したかったのではないかと思います。

 

また、今作の重要なもう一つのテーマとして、「胡蝶」を挙げたいと思います。胡蝶は幻想的・空想的・夢想的・サイケデリックなイメージを担っています。

邦題では「コッポラの胡蝶の夢」となっていますが、【胡蝶の夢】というのは「〔荘子が、蝶となり百年を花上に遊んだと夢に見て目覚めたが、自分が夢で蝶となったのか、蝶が夢見て今自分になっているのかと疑ったという「荘子(斉物論)」の故事による〕夢と現実との境が判然としないたとえ」という意味で、作中でも生に向かったり、死に向かったりと時空間がつかめなくなりそうなシーケンスがいくつも見られました。

「胡蝶」というモチーフはよくタトゥーで使われるようで、タトゥー彫りのお店のHPで胡蝶の持つイメージや意義が多く紹介してありました。

www.luckyroundtattoo.com

www.tattooers.net

主に胡蝶が意味するものは、「生命」や「成長」、「復活」、「自由」、「再生」などのようです。

特に気になったのがLucy Tatoo Round Studioさんが述べていたプシュケの箇所です。

 人間と蝶の結びつきは強く、古代文明での神話などでは 蝶は人間の魂のシンボルであるとも信じられていたそうです。 ギリシャ神話の中で、ある国の王の三姉妹の娘たちの一番下に非常に美しいプシュケと言う女性がおり、美貌に妬んだ美の女神「ウェヌス(ヴィーナス)」は息子である愛のキューピッド「クピド」に愛の矢でプシュケを卑しい男と結婚させるように命じますが、誤って自分を傷つけてしまったクピドはプシュケに心を奪われます。 息子の行いに激怒したウェヌスはプシュケを捕え、冥府の女王プロセルピナに美をわけてもらってくるように命じられます。美を分けてもらった箱を好奇心から開けてしまったプシュケは昏睡状態に陥ってしまいます。 それを見たクピドは神の酒ネクタールをプシュケに飲ませ、蘇ったプシュケは女神となりました。この場面が描かれる時、プシュケの背中には蝶の羽を生やす姿が多いのは、ギリシャ語でプシュケは魂または蝶を意味する事に由来するのだそうです。

このプシュケ(psykhe)は字面からして察すると思いますが、サイケデリック(psychedelic)の語源ともなっています。なので、サイケデリック音楽の分野でも胡蝶というのはとても良い題材のようです。

Can - Butterfly

 

Sonic Youth - Drunken Butterfly

 

Kevin Ayers - Butterfly Dance

 

等々、往年のサイケデリックな音楽を担った人たちが胡蝶をタイトルに付した曲を作っています。これらには共通するものがあるような気がしてなりません。

長々と書いてしまいましたが、このように今作では「人間の本質」と「胡蝶」を照らし合わせていると私は思いました。生と死を浮遊する幻想的な時間軸、そして、そこから浮上する定性的な人間の本質を探っているのではないかと思いました。

以下、ポスターです。

 

http://tthk-18.tumblr.com/post/141534855698/youth-without-youth-directed-by-francis-ford