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私的物書

音楽、映画や美術。

『アミスタッド(Amistad)』(1998)

1998年公開のドリームワークス作品の第一作目となったスピルバーグ監督の作品。

19世紀に実際に起きたアミステッド号事件を題材にした映画です。奴隷貿易に始まり、黒人差別、アメリカの司法制度、自由とは何か、人間とは何かというところまで発展させているところがこの映画の面白みであると思います。

 

今作のメインであるシンケがアメリカの裁判所に立つまでの過程を供述する回想のシーケンスでは、奴隷貿易の実態が生々しく描写されています。服も支給されず、衛生環境も最悪の船内に次々とモノのように詰め込まれ、見せしめとして無防備な彼らに鞭を打ち、欲求を満たすためにはレイプをし、食糧不足になれば彼らを海へと捨てていく…といった具合です。文字だけでも恐ろしいですが、これを写実的に見せられたならば、黒人と呼ばれる彼らに同情せざるをえないでしょう。

 

ただ、私はこの映画で考えることは、人間とは何か、ということです。

この映画では、「自由な人間」が賞賛されています。しかし、「自由な人間による自由なビジネス」がなされているとされる現在でも奴隷制度は存在しています。途上国と先進国の従属的な貿易関係だけでなく、様々なスケールのヒエラルキーで存在していると思います。

また、この映画ではアメリカにおけるキリスト教も少なからず背景にあるのではないかと思います。前提として、贖罪の概念があり、それを基にシンケたちは殺人罪の疑いで裁きにかけられますが、シンケたちには殺人罪という罪の概念が希薄であることに、私も罪概念に染まっていることに気づきました。その他にも、所内にいた仲間が亡くなり葬儀を自分たちのやり方でやりたいとシンケたちが叫んでいたシーケンスでも、同じ様にキリスト教と異文化の衝突が見られました。こうした衝突に直面した時、人間はどうすればよいのか、と考えました。

また、今ではオバマ氏が大統領に就任したように多少の解決がされていると思いますが、白と黒という二元論的な基準で人間を測ることもどうなのか、と思います。いや、これは白と黒だけでなく、善人か悪人か、優等人か劣等人か、など二項目でキッパリと分けてしまうことは危険なことで、その中間にいる人の存在をも否定してしまうことになりかねない、とも思いました。

以下、ポスターです。

 

http://tthk-18.tumblr.com/post/140805032868/amistad-directed-by-steven-sielberg-1997