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私的物書

音楽、映画や美術。

『ファンタスティック・プラネット(Fantastic Planet)』(1973年)

今回はフランスアニメの巨匠、ルネ・ラルーの代表作、『ファンタスティック・プラネット』についてレビューしていこうと思います。

話の大筋は極めて簡単で、ある惑星に住む巨大な体を持ち、高度な文明も備わっているドラーグ族とドラーグ族と比較してとても小さく、文明も未発達で野蛮とされているオム族の話です。そして、オム族は文明(技術)を発達させていき、ドラーグ族とオム族とで争った結果、排他的な関係ではなく共生関係を築いていこうじゃないか、みたいな話です。

二項対立(二元論)的なキャラクター付けをしているので、高度文明を持つ西欧人/文明が未発達で野蛮な黒人、にも置き換えられうるんじゃないかな、とも思いました。アイロニー的な表現で、黒人、これまで従属的・垂直的な関係だった人間と水平的で平等な関係を築いていこうじゃないか、ともとれました。

また、今作はSF作品と位置付けられているように、技術の進歩、機械の発達の描写が多いです。ドラーグ族は機械でオム族を駆逐していきます。ドラーグ族は機械の進歩の代名詞であり、オム族は伝統文明の代名詞と考えると、伝統文化を破壊していく機械の進歩、ともとれるのではないでしょうか。

また、オム族を我々人間全般と考えると、機械が発達していくと人間の手では制御ができなくなり、環境は荒廃し、果てには駆逐されていってしまうのでは、ということも提示しているのでは、とも思いました。宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』との類似点はイラスト・描写だけでなく、示唆しているところにもあるのではないか、と思いました。

散々と思考を散らかしてきましたが、最後に指摘したいのは、沼昭三の『家畜人ヤプー』とも似ているんじゃないかな、ということです。『家畜人ヤプー』では日本人が本作でのオム族のような、仕える者を担っていました。『家畜人ヤプー』では、よりグロテスクなテイストが組み込まれ、人体改造などまた違った方向の未来志向を描いていましたが、技術の進歩、という点では類似していると言えるのではないでしょうか。

以下、ポスターです。

 

http://tthk-18.tumblr.com/post/142396866713/fantastic-planet-directed-by-rene-laloux-1973